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日本史 五色塚古墳はイザナギのお墓 イザナミのお墓(103)目印-日御碕(85) 皇大神社

2012/05/17 05:31

 

先ずは、インターネットで写真をご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/hiro1jz/e/b0bf9fa9faec6835b751d7d4e524ce53

 比較的、この神社の雰囲気を表現しておられます。

次のページは、記事が丁寧です。

 

 皇大神社

http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/motoisenaikuooe.html

 

この方は、随分、読ませて貰いました。地元の方と思われます。他の部分も、随分勉強されています。詳しすぎて、次第に訳が分からなくなります。

歴史は、次の様に書いてあります。

由緒については、崇神天皇のとき、天照大神の御神体である神鏡を、大和国笠縫邑よりここへ遷し四年間奉斎した但馬乃吉佐宮の旧跡であるといわれ、「丹後旧語集」にも、「天照大神自此所崇神天皇御宇遷大和国、自夫今ノ伊勢国高間原遷宮奉成」とある。

 

 これはこれでいいのですが、崇神天皇の5年に、国の半分ぐらいの民が死んだと日本書紀と古事記に書いてあります。これは、192年の出来事です。

私もあちこちに書きましたが、田村誠一氏のスペイン風邪年代考証を読んでください。

 

 

http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2009/08/1-bcd0.html

 

 

 続いて、(4)まで読んでください。

 

上に見て頂きました事からだけでは、皇大神社の歴史は、それ以上遡ることは出来ません。

 前回書きましたように、天照大神は、この近くの天座に御所定め、この辺り一帯を治めていました。そして、此の地で葬られ、卑弥呼が祭祀を行う以前から、他の人がお祀りしていたと思われます。

 それが、どうして、4年ごとに、移動することになったのかが、調べても分りません。

最後に、天照大神が落ち着かれることになったのが、現在の三重県伊勢神宮だとされていますが、

確か、伊勢神宮の方は、元伊勢など無かったのだと、元伊勢の存在を否定されていたと思います。

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日本史 五色塚古墳はイザナギのお墓 イザナミのお墓(101)目印-日御碕(83)  天座(8)

2012/05/14 03:34

 

天座のことを書こうとしているのですが、田村氏の、「地図を歩く」のことを書いています。少しぐらいは、ご理解頂けましたか。

 

 実際に行くことは、大変ですから、地図の上で、歩いた気になって、調べて見ようということです。自分でやってみますと、直ぐに、突き当たってしまうことが判ります。古事記に書いてあることの意味が解らないことが多いからです。

 

 それは、古事記が書かれた当時、地名が無かった所は、飛ばす訳に行きませんから、その場所に行ったと思われる稗田阿礼が、太安万侶に報告し、それを元に太安万侶が、地名の代りに、その情景を書いたと思われます。

 そんなこと、どうしてわかるのだと云われそうですが、その場所に田村氏は、全部行っておられます。そして、古事記に書いてある通りの景色があると、一つ一つ文章で説明しておられます。

 

 「地図を歩く」ことと、「現地を歩く」で、古事記に書いてあることは、神話ではなく、

「因幡の素兎」の話は、話は作り話でありますが、書いてある地名とか、大国主神には、沢山の別名がどうしてあるのかが、判ります。

 

 それだけではありません。大国主神は、スサノオの子孫ですが、大国主神の子供が、どうして、信濃に追われたのか、追われたにも関わらず、現在は諏訪神社の祭神になっているなど、歴史が判ります。

 

 しかし、このページでは、このようなことを知ってもらうために、「地図を歩く」の説明をしたのではありません。

 

福知山に、天座があり、ここで、天照大御神が亡くなったという、飛んでもない発想は、田村氏が、「地図を歩く」を実行して、「現地を歩く」をされたからだと思います。

 範囲が広いですから、自動車でないと無理かなと思います。これまでに、福知山には、4回訪れて、走り回りましたが、一部しか走れていません。

 福知山にある神社を全部行かれますと、〔うん〕この地に、天照大御神が居られたのかもしれないなという気になってきます。

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日本史 五色塚古墳はイザナギのお墓 イザナミのお墓(100)目印-日御碕(82)  天座(7)

2012/05/11 08:45

 

考古学から歴史を解明しようとされる方にとって、地名程、役に立たないものはないと思います。

 大字は、まだしも、小字になれば全く役に立たないと思われています。しかし、最近では、古墳の名前や遺跡の名前を付ける時には、小字を使っておられます。小字の殆どは、江戸時代に作られたと云われる方もおられます。神社に至っては、建物は、それほど長く持ちませんから、現在ある神社もやはり、江戸時代に建て替えられた物と口にする方もおられます。

 建物は、確かに、最近になって建て替えられたものが多いですが、神社の名前は、古くからあっても、祭神を祀る人は、代っているものの、歴史は古い場合もあります。

 こうした地名と神社をいくらひねくっても、紀元前までは遡れません。

 

 それでも、歴史解明に役立てるために、確かめようとしますと、神社は、全国に何社あるか判りませんから、資料からピックアップするか、地図から抜き出すしかありません。仮に地図から抜き出す時は、ある方向性を決めて調べていきますと、何かを発見することが出来ます。

 

 田村氏は、「地図を歩く」という言葉を使っておられます。

 

 例えば、古事記に、因幡の素兎の話があります。この話は、日本書紀には載っていません。歴史家の殆どの先生は、日本書紀に書いてあることは、正しいと考えておられ、古事記は、無視されています。

 古事記だけに書いてあるのは、何故かと考えることです。この部分の話に真実性があれば、日本書紀に書いてない理由を追求すれば良いことになります。

 

 因幡の素兎の話は、簡単に言えば、大国主神がとその兄弟(80)とが、男ばかりで旅に出かけたことになっています。目的は、稲羽の八上比売に認めて貰い結婚するのが目的です。

 彼らが旅をしたルートは、何所であったかを知る必要があります。先に、「因幡の素兎」と書きました。これですと、鳥取県の地図を用意すればいいことになります。

 古事記の原文には、「裸莵伏」と書いてあります。

 その前に、「共に稲羽」へ行ったとあります。ということは、稲羽に住んでいる八上比売に会いに行くために、旅に出たことになっています。

 古事記には、次々と地名が登場します。稲羽、八上、氣多、淤岐、伯伎国、手間、山本と続きます。

 ウィキペディア

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E5%B9%A1%E3%81%AE%E7%99%BD%E5%85%8E次の部分を読んでください。

 判ったようで、なに一つ解らないことが一杯書いてあります。

 

①原文には、「氣多之前」とあります。「前」は、「岬」として使われていることが多いです。

②伯伎国は、(ははぎのくに)と読むらしい。別の表記では、伯耆国です。鳥取の辺りです。

③淤岐は、同じ読み方ですと、隠岐があります。地図で探しましたが、見付かりません。

 隠岐にしては、ワニを並べるには、距離がありすぎです。そうしますと、ウィキペディアに書いてあった「沖の島」が有力かもしれません。

④八上に住んでいた比売と考えますと、因幡には、八上郡があります。八上郡には、賣沼神社があり、八上比売神が祭られています。

 

 いろいろ試行錯誤を繰り返すうちに、少しずつ、大国主神が旅行したであろう道が浮かび上ってきます。と同時に、大国主神と大穴牟遅神が、同じ場所でつかわれている理由が判ってくるような気がします。

 

 この旅行記の賣沼神社の事は、次の所に書いています。

大国主神と八上比売神

http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2005/05/post_5866.html

 

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日本史 五色塚古墳はイザナギのお墓 イザナミのお墓(99)目印-日御碕(81)  天座(6)

2012/05/07 02:58

 

前回、ヒルゼンと大江山 (楽しい人生)を紹介しておきました。見て頂きましたか。

http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2009/11/post-8c46.html

 

 もう一度、その一部を記します。

「もともと福ノ神族を最初に仮説として採用したのも、同じ村位の単位の所に、福、神宮等の特定の地名が多いことを見出したためだった。」

 何十キロ、時には何百キロ離れた所に、この様な現象が発生した。
 左はヒルゼンと大江山の、似た地名である。いくらなんでも、無縁だ、偶然だで片付けられる問題ではない。
 「天照大神がヒルゼンから、大江山の麓に移った証拠にしたいのである

 

 

 「福ノ神族を最初に仮説」は、意味が解らないと思います。「福ノ神族」という種族が居たわけではありません。一々、説明が大変ですがから、「福」の地名が付いている所の周りを見ますと、「福ノ神族」が住みついたのだと考えたいと「天照大神がヒルゼンから、大江山の麓に移った証拠にしたいのである」と書いておられます。

 

 こんないい加減なことが、歴史学に認められるのかと云うことになります。

私は、認められると考え

ヒルゼンと大江山】を見て頂きました。

 

ヒルゼン(国土地理院・湯本)と大江山の地図を歩いている内に、地名の共通性に気付いた。

と書いておられます。

 

「地図を歩く」という日本語は無いと思います。でも、私には理解できます。一日中、地図を眺めていますと、歩いている気分になります。田村氏は、膨大な日本の地図を持っておられたと思います。それを毎日、毎日眺めていると、あるパターンが見えてきて、いろいろの事を発見することとなります。

 先に書きました福ノ神族がどんどん、全国に散って行った人が浮かび上ってきます。もっと、時代が新しくなりますと、その地図の上に、自分で、廃寺のデーターを書き込んでいきますと、廃寺は、ある道路の上に並ぶことになります。その道路にお寺だけを建てても意味がありません。長い間、その道路を通っている間に、住む人が増え、お寺が建設されたと考えるべきです。

 お寺は無くなってしまいましたが、人々が、どのように生活をしていったかが想像できるようになります。

 

田村氏にとっては、「天照大神がヒルゼンから、大江山の麓に移った証拠にしたいのである。」が出発点でしたが、想像は、どんどん広がって、福知山の天座には、天照大神が御所と定めていたという発想が生れました。

 

 これからの研究は、現在、天座にお住いの皆さんが、研究されることだと思います。

 

 次回は、もう一度、「地図を歩く」について書いて見ようと思います。

 

 

 

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日本史 五色塚古墳はイザナギのお墓 イザナミのお墓(98)目印-日御碕(80)  天座(5)

2012/05/02 04:14

 

隠岐島やって渡来人は、ヒルゼン高原に移動した経緯は、ご理解頂けましたでしょうか。それは、隠岐島にある神社に祀られている祭神と、ヒルゼン高原にある神社で祀られている祭神が、共通なものが多いからです。

 

 ヒルゼン高原に居た人たちは、ヒルゼン高原では、稲作が上手くいきませんので、鳥取県の大栄町にある高千穂に移動しました。移動と書きましたが、高千穂には、既に、住んでいる人が居ましたので、長い時間を掛けて、立ち退いてもらうことにしました。戦が行われたとは書いてありません。少しぐらいの小競り合いはあったでしょうが、高千穂一帯は分捕られたことになります。明け渡した人は、大国主神です。明け渡しを迫った人は、天照大御神です。(正確には、高御産巣日神もです) 従いまして、ヒルゼン高原で、祀られている神さんが、高千穂の周りに残っています。

 同様に、ヒルゼン高原に居た人たちの一部が、福知山市天座の近くに移りましたから、同じような神さんが祀られているはずです。

 それだけではなく、蒜山と大江山には、類似地名が見付かります。

 両方の地図を拡げて似たような地名があるか、探してください。

 

 

田村誠一氏が、見つけられた地名が、第5話 『古代史と大江山』の5457ページに掲載されていましたので、次の所転載しておきました。読んでください。

 

 ヒルゼンと大江山 (楽しい人生)

http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2009/11/post-8c46.html

 

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日本史 五色塚古墳はイザナギのお墓 イザナミのお墓(97)目印-日御碕(79)  天座(4)

2012/04/28 05:16

 

前回と同じような論法で、高天原と〔天座〕は何等かの関係があると考えてよいと思います。

 高千穂は、宮崎県にあることは、歴史界では確定しています。元宮崎県知事であった東国原英夫氏は、知事に就任された時に、宮崎県は高千穂があった所で、高天原に居た人たちは、高天原にいましたが、住みづらいことが判って、高千穂に降臨したとされていますから、宮崎県は建国発祥の地だと云われました。 これから、そのことを日本中に売り出して、宮崎県に来て頂くと宣言されました。しかし、無理矢理に作られたものは存在しますが、その証拠となるものはありません。

 

 高天原は、ヒルゼンにあったことを説明すると、膨大なものになりますので、以前に書いたものを読んで頂けたらと思います。

 隠岐島の渡来人は、ヒルゼン高原に移動

http://homepage1.nifty.com/o-mino/page1247.html

 

 この後、5回に亘って書いています。

同じものは、つぎにも掲載しています。読みやすい方で、読んでください。

http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-07-08

 

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日本史 五色塚古墳はイザナギのお墓 イザナミのお墓(96)目印-日御碕(78)  天座(3)

2012/04/25 02:52

 

後になりましたが、〔天座〕の読み方です。〔あまざ〕と読みます。〔天〕の字は、普通は〔てん〕と読みます。昔も〔あま〕とは読まなかったようで、古事記を書いた太安万侶は、始めに、〔あま〕と読んでくださいと断っています。

 

 古事記の一番初めの部分に書かれています。

天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。

 

 上の二行の文章には、〔天〕の字が三つあります。

私が愛用しています岩波文庫の『古事記』には、【訓高下天云阿麻下此】の部分が、欠落しています。翻訳者の倉野憲司氏、この指示に従っておられません。

 

①天地の部分は、天と地は対になっています。〔テン〕と〔チ〕ですから、この部分は、

テン〕と読みます。

 

②於高天原 の部分は、【訓高下天云阿麻下此】に従いますと、〔阿麻アマ〕と読みます。

〔タカアマハラ〕です。

 

③天之御中主神の部分は、高天原という名の、高原に住む〔阿麻〕という人の御中の主じの神という意味だろうと思います。従いまして、ここの〔天〕も〔阿麻〕と読んでくださいと云うことだと思います。

 

 以後、〔天〕という漢字が出現しますが、高天原に関係のある〔天〕は、〔阿麻〕と呼んで下さいと云うことになります。

 倉野憲司氏は、原文に書いてある【訓高下天云阿麻下此】の部分を無視されたために、翻訳を間違われたと思います。

 

この後に、〔天之常立神〕〔天の沼矛〕〔天の浮橋〕が出てきます。

①〔天の沼矛〕は、高天原を造成するときに、使われた鋤の事です。この地は、葦原で沼地でした。入植した時は、直播だったと推察します。〔天の沼矛〕は、中国・雲南省から持参したスコップです。

 

②〔天の浮橋〕は、伊弉諾神と伊弉冉神が造成したオノゴロ島の前に拡がった橋の事です。

  中蒜山の五合目に造られました御所の前に拡がる雲海です。この位置には、秋になると雲海が掛ります。東側に、並ぶ山々まで続く雲海は、橋の様に見えたから、太安万侶はこのように表現したと思われます。

 

①②とも〔阿麻〕と読むと意味がすっきりします。倉野憲司氏の翻訳のままでは、〔神話〕になってしまいます。

 

 この〔天〕が、天座と関係あることになります。〔テンザ〕ではなく、〔あまざ〕と呼ばれる由縁です。

 

 話題は別のことに飛びます。

滋賀県近江八幡市中之庄にある天御中主尊神社に天之御中主神が祭られています。 

http://homepage1.nifty.com/o-mino/page1296.html

 

近江八幡市と天之御中主神と何等かの関係があったと考えていいと思います。一度、訪れてください。

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日本史 五色塚古墳はイザナギのお墓 イザナミのお墓(95)目印-日御碕(77)  天座(2)

2012/04/23 08:19

 

古代の人は、田村氏が命名され天神ラインである北緯3527分の目印として、大江山を選択したように思われます。

 大江山(おおえやま)は京都府丹後半島の付け根に位置し与謝野町福知山市宮津市にまたがる連山での名前です。

 全体を大江山連峰と呼ぶため大江山と呼ばれる頂上をもった峰があるわけではない。連山には北東寄りから鍋塚(なべづか、763.0メートル)、鳩ヶ峰(はとがみね、746メートル)、千丈ヶ嶽(せんじょうがたけ)、赤石ヶ岳(あかいしがたけ、736.2メートル)と呼ばれる峰がある。このうち、千丈ヶ嶽が最高峰で832.5メートルの標高があり丹後地方最高峰です。

 

 実際に、地図で確認したいと思います。国土地理院の地図閲覧サービスを利用します。

 http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx?mesh=0000 をクリックし、「宮津」――〔大江山下の方〕をクリックします。中央のボタンを前後に回転させますと、地図は拡大・縮小します。

 天座一区、天座二区が見えます。 天座一区のやや上に、395.8mの山が見えます。この山にカーソルを合わせ、ダブルクリックをしますと、上から三行目に、この位置の緯度が表示されます。北緯352551秒です。 

 等高線を辿りますと、やや、東北の方向に、二ヶ所、同じ高さの部分があります。上にある方は、頂上が広いことになります。はじめの395.8mの山も、他の周りの峯よりは、頂上部が広いことになります。

 左ボタンを押したままで、地図を左右に移動させて、峯の部分を確認してください。殆どは、円に近い形をして、頂上の面積が低いことが判ります。

 395.8mの山と、他の二ヶ所は、高さも一緒ですから、麓にある神社の所から、見上げますと、同じ高さに見えるのではないでしょうか。

 これは、地図を見ただけで、想像しただけです。

 実際に行って、見上げてください。 もし、その通りでしたら、395.8mの山に登ってください。田村氏の推理が正しいとしますと、他の二ヶ所が見える筈です。

 395.8mの山から直ぐ、東は、谷になっているはずです。その向こうに見える小さな部分は、尾根が南に張り出していることになりますから、此処からは、天座一区の集落が良く見える筈です。

 もし、そうであれば、ここは、御座所の見張りとして使われたと想像しています。

 行く前から、この様に想像してから行きますと、楽しいです。

 395.8mの山の頂上で、なにか土器のようなものがおちていないか、さがしてみるのもいいかと思います。

 もっとも、2100年前の御所ですから、表面に落ちているのは、無理かも知れません。長い間に、土砂がされて、土器はあるかも知れません。

 

 もう一度、地図に戻ります。北に移動しますと、赤石ヶ岳(736.2)があります。その南に屈曲している道が見えます。道は、どんどん、千丈ヶ嶽に近づいてありますが、途中で、右折しています。そして、切れています。これだけ、曲がり名が、到達した地点ですから、ここまで行く理由があったはずです。

 地図の右上に、〔+〕と〔-〕があります。これを使って、地図を大きくしますと、記号が見えやすくなります。尖った記号は針葉樹林です。円の方は広葉樹林です。

 このマークは、大きな木を表しますから、林業のための道路だったと思われます。ただ、こんなに遠回りをしなくても、そのまま、下に下ろせばと思うのですが、それでは、木が痛んでしまうでしょうか。

 ここは、桑畑だったのでは、考えたのですが、そうではなさそうです。 なにか鉱物がとれた可能性はあります。江戸時代であれば、資料が残っているかも知れません。

 

 ついでに、稜線を移動し、鳩ヶ峰と鍋塚も確認してください。 天座は、何一つ資料は残っていませんから、出来るだけ、資料を集めます。

 

鳩ヶ峰ですが、鳩は日本に、2000年前から居たのでしょうか。

鍋塚とは、お墓の事ですね。これも調べたくなります。

 

鳩ヶ峰 で検索。 〔ヤマレコ〕を選択。

http://www.yamareco.com/modules/yamainfo/ptinfo.php?ptid=3056

 3D地図で確認する。  クリック。  大江山一帯を眺めることが出来ます。

 

〔ヤマレコ〕に書いてある近くの山のうち、次の山は、鉱山だったと思います。

 [17.2km]

鉄鈷山(718.2m)

 [18.1km]

東床尾山(839.1m)

 [19.6km]

西床尾山(843m)

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日本史 五色塚古墳はイザナギのお墓 イザナミのお墓(94)目印-日御碕(76)  天座

2012/04/21 05:07

 

「天座」をキーワードにして、インターネットで検索してください。

 

 地図 と次のものぐらいしか見つかりません。

 

大江山の酒呑童子伝説 http://www.ryoutan.co.jp/news/2012/04/10/005020.html

 

 大江山の酒呑童子伝説は、天座の方が、村興しで、此処が、伝説にある「天座」ですよと看板を建てたという記事です。

 続けて、根気よく検索しますと、ヒットするかもしれませんが、あまり無いと思います。「天座」という地名は、全国に此処だけではないでしょうか。と云うことは、特殊な地名と云うことになります。

 特別な地名であれば、どうして「天座」という地名が付いたかは、簡単に分りそうですが、ぼんやりと判って来たのは、5年程経ってからだったと思われます。

 

 その切っ掛けになったものは、田村誠一著 

第一話 神々のふるさと ヒルゼン      昭和551121日』

です。読んだのは、10年程前になりますが、判らないことが多くて、書いてあることを一つ一つ確かめて歩きました。

 

 この書物は、63ページの薄いものですが、書いてあることは、現在でも、誰にも認められないものです。

52ページの文章を掲載します。

地名を考える (6)   page  52

 ヒルゼンには天王の地名が3ヵ所ある。地図には1ヵ所しか示されてないが、この外に福田神社と長田神社のある所が相当する。

戦後には神社名まで、末梢されたが、神社も歴史だから地図に残すべきだ。しかも福田神社は無形文化財の、大宮踊りのある所だし天然記念物のイチョウが、二本もある。

旅行者に不自由な地図は何の目的に使用されるのかと申し上げたい。

余談になったがヒルゼンには、天狗山、天谷の地名があり、倉敷を流れる川は天神川である。米子には天津村がある。

これらの天は、お空の天ではない。天ッ神と天ノ原すなはちヒルゼンに縁のある地名だ。

天照大神が余生を送られた大江山の麓の御座所のあった所は天座である。南の山は天ヶ峰だし、天田、天王から天津の地名まで、地図に載っている。

大江山の南は、天田郡で月読命が余生を送った所である。

なぜこの地域に天のつく地名が多いか。地名をパターンで考えるべき理由である。

 

 

お解かりになりましたか。

メインの部分は、「天照大神が余生を送られた大江山の麓の御座所のあった所は天座である

です。

 

大江山の酒呑童子伝説は、紀元後のことです。天照大神の話題は、紀元前150年頃の事です。その時から、「天座」という地名があったわけはありませんが、古事記が作られた頃には、この辺りは、天照大神が余生を送られた所だと思われていたのだと思います。

 

 調べる度に、文章にして、WEBに掲載しました。その時に、読んで役に立ったものが、上に書いたものです。 

地名を考える (6)は、

http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2008/05/6page_52_65dd.html に掲載しています。前後には、(1)(8)を掲載しています。 地名は、どのように考え、どの様に調べればよいかが、書いてあります。

 私が知ったことは、書いてある地名は、全部現地に行きますと、少しは、ぼんやりと判ってくるということです。

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日本史 五色塚古墳はイザナギのお墓 イザナミのお墓(93)目印-日御碕(75)  出石(4)

2012/04/20 05:26

 

出石神社の祭神は、天日槍命 出石八前大神です。天日槍命の名前は、殆どの方は、耳にされたと思います。

 

 『古事記』にはアメノヒボコの妻が夫と諍いした後、日本に逃げてきて、のちには難波に留まり、比売碁曾(ヒメコソ)神社の阿加比売神(アカルヒメ)になったと書かれています。

日本書紀』には、ツヌガアラシトの妻とあります。古事記と同じことが書いてあります。、難波の比売碁曾神社の神となり、また豊前国国前郡(大分県国東郡)の比売語曾神社の神ともなって二か所に祀られていると。

このパターンは、伯耆の国の三輪神社と奈良の大神神社があります。大神神社の祭神をご覧ください。いろいろのことが書いてあります。日本書紀の方が、精しいから、だれでも、大神神社は日本で一番古い神社と信じています。


 福岡県糸島郡の前原町高祖(タカス)に高祖神社がある。もとは高磯(タカソ)神社と呼ばれ、ヒボコの妻を祀るとされていた。また大分県の姫島に比売語曾神祠(神のやしろ、ほこら)がある。先の『日本書紀』に掲載されている神社が、その通りの所にありますから、だれでも、日本書紀に書いてあることは、正しいと信じます。

 

日本書紀』に拠れば、アメノヒボコは宇治川をさかのぼって、北の方の近江国の吾名邑(アナムラ)に入って、しばらく留まった。また近江から若狭国を経由して但馬国に至り、住むこととなりました。

私も、このことを信じて、このルートを走ってきました。
 この記事に見られる吾名邑は、蒲生郡の苗村(ナムラ)にある長寸(ナムラ)神社の付近だとされています。

成程、これだけ証拠が残っていると、日本書紀に書いてある通り、アメノヒボコは、自分の住むところを探したのだと信じていました。しかし、最近は、あまりにも、日本書紀に書いてある通りに、吾名邑らしき地名があり、立派な神社が、揃いすぎの様に思っています。

 

 もう一度、日本書紀と古事記に書いてあることを全部、確かめてください。

訳が解らないことが、判ります。

 

 『日本書紀』には、アメノヒボコの作り話が書いてあるのだなと考えるようになっています。

 

アメノヒボコが、若し、天皇家と関係があるのであれば、北緯3527分に作られているはずです。

次回は、「天座」について書きます。

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